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2005年 07月 30日
長いようであっという間だったロンドン生活に終止符を打つことにした。結果2年弱、ロンドンの外資の巣窟で働いたことになるが、この間には非常に多くのことを学んだし、色々な心境の変化があった。少しいくつかに分けて、こちらにいる間に経験し、感じ、考え、悩んだことについて総括的に書いておきたい。
外人化: まず大きかったのは、どんどん自分が日本人らしくなくなっていくのが肌で感じられたこと。態度、振る舞い、話し方、営業トーク、巧みなブルシット、欧州マーケットに関する知識、文化などあらゆるところで非日本人的ものをどんどん吸収していった。来たばかりのころは英語はとりあえず話せるからいいだろうなんて思っていたが、これも飛躍的に上達した。本当のバイリンガルは日本語を話すときと英語を話すときで、性格から話し方から全て切り替えられないといけないものだということが初めて実感できるようになったと同時に、今や自分で実践しているのが不思議な感じがする。英語のビジネス会話は正直日本語に直訳すると失礼に聞こえる文章が多いため、日本的感覚で遠慮していると相手に付込まれてしまう。こうした特にビジネスの場での言葉遣いや態度の切り替えが瞬時にできるようになった。つまるところ、海外だろうが日本だろうが仕事の本質は変わらない。投資銀行業務であっても、基本的な財務分析・戦略分析、M&Aや資金調達の会計・法律・手続きなどポイントとなるところは変わらないし、やっているうちに身に付く。海外でバンカーとしてやっていけるかどうかは、外人的なモノの考えや話し方・姿勢が身に付くかどうかにかかっていると言ってもいい。 海外でのキャリア: 海外でずっと仕事を続けるべきか非常に悩んだ。来てから半年ぐらい経った時、そんなこともありうるかなと思い始めていたのが、多分このままいても普通に十分やっていけるなという確信がだんだんと持て始めていた。ロンドンでの仕事は順調だったし、ポジションも確保されていたし。去年後半に多少同業他社でロンドンの投資銀行部のポジションを軽く受けていたときもいつでもとってくれるぐらいの勢いだった。ただ、正直バンカーの経験はマーケット間でトランスファラブルではない。我々はシニアになればなるほどディールメーカーとして、クライアントを何年も担当し案件を取ってくるのが仕事になるからだ。欧米でスーパーバンカーでも日本に戻ればクライアントを1社も持たない使えない人になる。海外でやっていくなら、ずっと海外でキャリアを積むぐらいの決意がないといけない。精神的にも中途半端で生き残れるほど甘い世界ではないし、いずれは日本に戻るなんて考えているとその間キャリア的には無駄に年数を過ごしてしまうことになる。 他にもとある英国企業のコーポレートファイナンスマネジャーのポジションなんかも、グローバルにその企業が行うM&A・提携をCFO直属の6人のチームで全部手がけるという少し興味を引かれた話もあったりした(もっとも毎日早く帰れる分、給料は減るが。また出張漬けになる。それでも日本の事業会社の倍くらいは給料が良いが)。かなり心が揺れたディストレスド・ファンドの仕事なんかもあった。しかし、俺が出した結論は海外で人生を送るというか、外人になることはできないということだった。何かしら日本絡みの仕事をしていないと自分のアイデンティティが保てない。 海外にずっと住んでも日本人でいつづけることは可能だと思う人が多いだろう。しかしそれは違うと思う。今後10年・20年と海外にいて、せいぜい日本に帰っても年に1・2回ということだと、日本の友達はだんだんと疎遠になるし、たまに連絡を取り合っていても、辛いときに助けてくれたり、相談しあえる親友でいられるわけではない。逆に海外の友達が増えるし、関係も強くなる。日本の知識にしても、経済・政治や社会の動きを肌で感じられなくなると感覚がずれてくる。流行の音楽やファッションだってそうだ。数年はまだしも、何十年となると日本にいる日本人と同じ日本人さを保つのは不可能になる。その分外人化していく。短い期間ながらその兆候が自分にも見られたし、よりそうなっていく姿が想像できた。海外に来て再度自分の日本人らしさを再確認したというところだろうか。
by mondenlondon
| 2005-07-30 15:36
| ロンドン生活
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