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2005年 08月 18日
多くの人に衆議院解散に関するエントリを読んでいただいてありがとうございます。多少なりとも考える材料を提供できていれば幸いです。1000IPアドレス以上のアクセスが出ていて驚きましたが、まずブログがそれだけ普及しているということに驚いたのと、選挙に対する関心が今までになく高まっているということに感心しました。また同時に政治と宗教の話はブログに書くには難しいトピックだということも分かりました。500IP以上アクセスがくるとややアンコントローラブルになりますね。通りすがりの人も増えますし、2チャンネラーみたいなのも入ってくるしと。
少し政治と経済のかかわりについて今回改めて考えさせられました。特には経済問題に対してベストなソリューションとなる経済政策を考えるということと、政治的にどのような経済政策が国会を通りやすいかを考えることとの両方を考えることの難しさですね。政治の議論はどうしても、つまるところあの人はリーダーシップがある、彼は口だけだ、といったレベルに陥りがちです。確かに政治の世界ではそれも非情に重要になるのだが、単純に誰かの首を挿げ替えれば大丈夫、といった議論の仕方ではなく、中身の議論がもっとされることが望ましいですね。 日本でも、欧米でも、学者が経済政策のフレームワークを考え、官僚が間に入ってどの法律のどの条文を変えるのか、あるいは新法のドラフティングを手助けし、政治家が国民を説得し国会で通すという分業がなんとなく成り立っているのかなと思います。ただ政治的に受け入れやすい、あるいは通しやすい政策を考え始めると、本来ベストなソリューションでは常になくなるというジレンマにどうしても陥りますが、よって現実的にはセカンドベストなソリューションは何かを考えざるを得ない。小泉自民党派、自民党反対派、民主党それぞれの支持者も、そもそも政治家が出してくる政策はセカンドベストなものになっているのでお互いの政策をベストではないと批判するのは容易ですがそれでは建設的な議論はできない。また経済のファンダメンタルズの見方の違いによってはベストな政策に関する考え方自体も変わってくる。国民全ての絶大なる支持を受けている政党がいれば別ですが、それは現実的には難しいし、そうなることも望ましくないので、それぞれ異なるしがらみや考え方を元に、前提とする見方は何で、自分達のしがらみを踏まえた現実的な経済政策はこうだというものをそれぞれが出せるようにならないとよりよい政治にはならないのではないでしょうか。そのためには人物像だけでなく、掲げている政策の中身も評価できるようにしないといけない。政治家の質はまさに国民の質を現している。日本の政治が弱く、あるいは国際的に見て日本はだらしないと思うのならば、それは日本人がそうだということです。日本のためにも政治に無関心になってはいけないし、経済問題や難しい話も残念ながら(?)日本のためには国民自らが理解してレベルを高めていかないといけないのでしょう。 人気blogランキングへ #
by mondenlondon
| 2005-08-18 21:13
| 日本経済
2005年 08月 09日
非常に残念な結果になった。亀井静香氏など国民の聞きたいことしか言わない無責任な発言を繰り返す政治家が支持される世の中にさすがに頭にきた。政策はマジックじゃないんだから、何かを達成しようとしたらコストもかかるしいいところ取りはできないんだ。一般人で今回の事件の意味をきちんと把握できている人があまりに少ないのでここで整理しておこうと思う。
緊急号外として書き下ろしてみました。長いですが是非多くの人に読んでいただければと思います。 産業として成立していない日本の銀行業: 全国銀行全ての償却前業務損益合計から不良債権償却費合計を引いた業務損益を見ると、過去10年以上にわたり(厳密には1993年より)、毎年平均3兆円以上のマイナスになる。このことは毎年3兆円も政府によるミルク補給が無いと銀行業界は産業として成り立ってきていないことを意味している。全国銀行全ての総資産合計は約800兆円。一方郵政公社の郵便貯金の総資産は約300兆円。銀行業界のマーケットシェアチャートを作るとしたらマーケットシェア約30%を保有する一大銀行が郵政公社ということになる。資産規模ではシティバンクなどを抜いて断トツ世界一の銀行だ。日本の銀行業界は最大銀行である郵政公社が国の優遇を受けており(具体的には法人税、固定資産税、事業税等が免除されていると共に、預金保険機構への保険料を払ってなくても預金は国によって完全保証されている)、民間銀行は不利な条件の中競争しているわけである。 それでも日本経済が高成長を続けていた90年ごろまでは良かったが、ゼロ%成長に突入した90年代問題が表面化し、残りの民間銀行部門も毎年3兆円もの政府からのミルク補給を受ける産業に陥ってしまったわけである。要は郵政公社も補助金漬け、民間銀行部門も補助金漬けで銀行業界全体としてロスメイキングに10年以上なっているのが日本の銀行業界だ。 不良債権問題: バブル崩壊後の銀行の不良債権の増加の原因は、単純に言うと民間企業の返済能力の低下である。これは以前ブログでも触れたとおり、バブル崩壊後、前提となる経済成長率が一気になくなってしまったために、80年代の高い負債比率をサポートできる将来キャッシュフローが無くなり、返済スケジュールが成り立たなくなったわけである。企業が返済できなくなった借入金は、銀行側の不良債権増加につながった。しかも想定していた将来キャッシュフローというのが、企業の事業から出てくるキャッシュフローではなく、不動産などの価値の上昇見込みだったりしたことで、不動産価格の下落と共に自動的に貸出は不良債権化してしまった。 その後、銀行側も不動産価格に依存せず、企業の事業そのものからの将来キャッシュフローを審査して貸し出す体制に変え、銀行経営そして貸出の健全化を計ろうとした。これが俗に言う「貸し渋り」だ。本業が利益をきちんと上げておらず、貸しても10年以上返ってくる見込みの無い(通常欧米での銀行貸出の返済期限は5年)企業が日本に数多く存在したため、突然銀行に健全経営されたら倒産する企業が続出するということで、簡単に言うと銀行はそんな一気に健全化するな、という政治判断になった。これが構造改革の「ソフトランディング」である。ハードランディング派は、日本経済の素早い回復を唱え、中小企業が一度に倒産した場合に備え失業者の手当てを厚くしたり、政府援助などの組合せによるセイフティーネットの拡充と共に銀行の健全化(=貸し渋りの許容)を一気に進めようとしたが、政治の場で敗れた。 すぐに銀行が健全化できなければ当然銀行経営は悪化するわけだが、そのコストを政府が負担するという形で銀行に公的資金が注入される。ただ、確かに銀行が放漫経営に陥っていたのは確かで批判されるべき点が多かったためにマスコミ・政治家による銀行批判が行われた。議論の後、公的資金注入と共に健全化計画の提出が義務付けられた。この内容は銀行は収益を重視して経営しなければならないが、同時に貸出目標設定(=設定された金額を達成するには業績が悪い会社にも融資しなければいけなくなった)されるという相反する目標を課せられた。新生銀行やあおぞら銀行が自行の収益改善を重視しすぎたために(採算の取れない・悪い企業への貸出を極力避けた)健全化計画で設定された貸出目標額を達成できず行政指導が何度も行われたのを覚えている人もいることだろう。 つまり、公的資金の注入で結果として何が行われたかというと、銀行を通じた企業部門に対する補助金だ。実質的には国民に金をばら撒いたのと同じだが、そんなことは現代社会では実現できないので、資金の配分経路を変えたということだ。ついでに補足しておくと2000年前後以降の不良債権はバブル期の遺産ではなく、その後新しく発生した不良債権だ。それは銀行セクターが低収益産業に陥っているという結果でもある。 政府の借金の拡大と無責任な政治家: 90年代後半から銀行部門に対する公的資金と共に大型景気回復減税など様々な財政大盤振る舞いが行われた。当時の議論では将来経済が回復してきた段階で増税することが合意されたが、いったん政府が国債をたくさん刷って借金を増やして金を捻出した後、どうやって政府の借金を返すかは議論の対象から外れていく。無責任な政治家は、貸渋り反対、銀行に公的資金注入したことを口実に銀行経営大批判、大型減税賛成だけを掲げ、当初合意していたような増税は絶対反対、最近ではそれに加えて銀行部門の最も重要な問題であった郵政民営化大反対、そう言っているわけである。財政悪化が激しいことが年金制度の維持すら難しくしてきており、様々なところに影響が伝播している。一連の構造改革のソフトランディングのために費やされた政府支出は結果として銀行部門の不良債権の政府への付替えと政府の借金の拡大につながった。要はこした無責任な政治家は国民の耳に響きが良いことしか賛成しておらず、増税や郵政民営化といった本来銀行部門の健全化、日本経済の持続的成長にとってはペアで考えなければならないが国民に負担を強いることについては無視しているわけである。 責任感のある政治家は当然に国民の負担を強いる事柄についてもきちんと実行しようとしているが、無責任な政治家は意図的に無視しているのか、それともそもそも全く無知なのか大反対一筋である。経済回復にマジックは無いわけで、経済政策は薬と同じで、良薬ほど苦いけれどもより効果があるものなのに、薬の苦味は嫌だけれど効用だけ実現しましょう、と無責任な発言をしているに過ぎない。その急先鋒が亀井静香氏のような政治家だ。「断固反対」「無理に通すなら受けて立つ」といった威勢の良い大衆受けする発言だけが目立つ。そして彼らが主張するような世界が実現できると信じ込んでいる大衆の無知も見ていて悲しくなってくる。 今の日本で政治家として当選したいなら、無責任な発言をしていれば当選するだろう。国民に負担を強いる話は一切無視して、耳に心地よい主張だけしていればいい。減税支持、消費税増税反対、郵政民営化反対などなど。そんなことばかり言っている政治家は本当に聞いていてあきれてくる。日本のことを本当に考えていて責任ある発言をする政治家が割を食う世の中になってしまっている。 今回の郵政民営化法案の意義: 実際問題としては、今回議案に上がっていた郵政民営化法案はどちらかというと三事業の区分を明確にするというレベルのものであって本格的な民営化からは程遠かった。本来最もインパクトがある郵政改革は、郵便局が集めた貯金の運用方針を郵政公社が独自に決めて運用できるようにすることだが、今回の民営化法案はそこまで踏み込んでいない。結局は貯金の運用先が国債や財投にほぼ限定されるという現状から変化はない。あくまで政府のお財布として使われるという点には代わりが無かった。 そうしたところで、今回の一連の郵政民営化のポイントは、ちょっとでも郵政民営化の改革を進める気がある、つまりは日本の金融部門そして引いては企業と金融の健全な関係の確立と日本経済の再生を進める気がある政治家が誰で、利権と票集めにしか頭が回っていない無責任な政治家が誰かを見極める踏み絵になったと個人的には見ている。ただ、残念ながらこの一連の金融問題に関するマスコミ、大衆の理解があまりに浅かったためと、無責任な政治家がはびこっていたために、国会できちんと議論などしているといつまで経っても実現できないという雰囲気になってしまい、今回の意味づけがきちんと理解できないままに、単純に小泉vs反小泉と図式だけがクローズアップされてしまった。 最終的に完全な郵政民営化が実現されないと、冒頭で触れた日本の銀行業界が抱える構造的問題は解決されないし、ミルク補給を毎年受ける構図も直らないし、政府の財政の健全化も実現できない。これは日本経済の根本的な構造改革・持続的な経済成長が実現できないことを意味する。 本来本当に採算が取れない過疎地へのサービスなどが重要なら、その採算が取れないけれど社会的に必要な事業と、儲かる本業に分けて、採算が取れない部分については、これは社会的に必要だから政府が補助を出すと明確にした方が望ましい。あるいは単純に雇用維持の問題であれば、郵政民営化というのは政府の決定であり、日本全体の厚生の増大に寄与する政策で、これによって犠牲になった失業する人がいるならば、退役軍人のように一生政府が面倒見ます、ということで構造改革のコストとして明確にすればいいのだ。こんなことが理由で郵政民営化反対なんてのは認められない。 郵政民営化の次のターゲット: 金融再生のための郵政公社の次のターゲットは農林中央金庫を頂点とする全国農業林業金融組織の改革だ。これも郵政と同じようにいわゆる農協業務、保険業務、銀行業務の3事業を行っている。ディスクローズはされていないが農協業務と保険業務は赤字で銀行業務でカバーしていると言われている。住専問題などで最もアグレッシブだった農林中金は、大手銀行各行が母体行責任として損失負担をさせられたのに対し、簿価での返済を確保した。当然に政治的配慮が働いたわけだが、他の2事業が赤字なために銀行業で一発逆転ギャンブル的な行動を取ろうとする誘因が常に存在する組織としてのインセンティブスキームを持っている。 ただ、これも郵政と同じく自民党一部政治家の大票田となっている日本経済の最も暗い部分にメスを入れる話となる。農林水産大臣の島村氏が反対表明したのも、自身の基盤が郵政族と同じ類のものだと感じていたためと思われる。日本のこうした経済改革が遅々として進まないのは、有権者の一票の格差が大きく、田舎の人の1票は東京の人の3・4票に相当するということで、日本国の国益が歪められて形成されることに根本的原因がある。 衆院総選挙に向けて: 小泉首相には是非勝って欲しい、というのが率直な気持ちである。郵政族・農水族と正面から戦って生き残った政治家はこれまでいないし、小泉首相の断固たるリーダーシップは確かに頼もしい。強引な面は否めないが、しかし責任ある政策を実行しようとしているその志は近年稀だ。しかも、今日本経済はちょうど景気回復局面にあり(構造的問題は解決していないが、小幅の景気変動は繰り返しておりその中での景気回復局面)、この機会を逃すとまた今後数年は改革の話すらできなくなってしまうということになりかねない。郵政民営化もそうだし、これまでにつぎ込んだ公的資金の増税による回収といった苦渋を強いられる政策にしても実行する機会を失う。こうした政治家として嘘や夢物語を語らない、現実的な苦渋を伴う政策を主張し実行するというのは、残念ながら選挙では受けが悪い。もしこれで小泉首相が負けることがあれば、常に私が危惧している、日本は何も改革ができずこのままじわじわ弱体化し続け、それでも基礎体力があるから当分の間危機には達さず、大国の終焉を今後20年間見続けることになるということが実際になってしまうかもしれない。このブログを読んだ方々には少なくとも甘い話しかない政策というのは存在しないんだということを頭に入れて選挙に望んで欲しい。 人気blogランキングへ #
by mondenlondon
| 2005-08-09 12:06
| 日本経済
2005年 08月 05日
俺が関わったのでは今年に入ってから4つ目の発表案件。これはわざわざ雪の降っているドイツにデューディリジェンスに行ってひどい風邪を引いた案件だ。しかも、100年近く続いた同族経営会社の売却案件の売却側アドバイザーということで普段なかなかできないタイプの案件だろう。ここでは書かないがIPOではなく売却という選択肢を取ったのには色々な理由がある。同族経営だけれども、ものすごく利益率が高く、非常に筋肉質の会社で、自分の会社でキャッシュフローのコントロール権を全部持っているという意識が高いのか、設備投資なんかも特に投資基準なんか無くても経営陣の決定は必ず最も効率的かつ効果的なところにしか行わない。経営意識の高さは未公開企業ならではだ。ヨーロッパにはこうした上場していない中堅・大企業がかなりたくさんあるが、中には一切配当を払わないで、キャッシュフローは全て再投資にまわして驚異的な成長率を続けている会社なんかもある。そうした会社のCEOはもう十分お金持ちだし、別にこれ以上金はいらないというわけだ。こうやって考えると上場しない方がはるかに良い会社が日本でもたくさんあるのだろう。
帰国までにもう一件ぐらい発表できるかな。 #
by mondenlondon
| 2005-08-05 21:30
| 欧州投資銀行業界
2005年 08月 01日
海外で働くことと海外で生活することの違い: 何人かの学生さんから海外で活躍するビジネスマンになるにはどうしたらいいかといったメールをもらっている。漠然とした海外への憧れ、海外で外人と対等に働いたり、グローバルに飛び回るビジネスマンとなることへの夢といったものは誰にもあるのかもしれない。ただ、海外で働くことと、海外で人生を過ごすことはコインの裏表であって、前者だけを考えるわけにはいかないことを見過ごしがちだ。 海外で働くこと自体は非常に刺激だしいい経験になる。個人的にもIBで今年の前半などは一度に7・8件ライブ案件を抱えて死にそうになりながら回していたが、日本では絶対経験できないような経験となった。プライベートはほとんど無くなったが、仕事は面白くてたまらなかった。M&Aの数と規模が全く違うわけだが、バンカーの社会的価値はM&Aの数が増えれば増えるほど上がっていく。どこの会社がどうした戦略を考えていて、業界全体としてはそれゆえどういった方向に向かっていこうとしているのか、その渦中にいて全てに関わっているバンカーの経験と知識量は事業会社のCEOを上回る。たまたまいたチームが業界の中でも最も強いチームだったので、担当業界の中では欧州の大企業のIPO主幹事をほぼ全て手がけたし、起こっているM&Aの半分以上にはかならず関わるようなチームだった。2週間おきぐらいにあったビューティコンテストの勝率も5割弱ぐらいだったと思う。これ以上仕事取れないで欲しいと思うぐらいだった。俺の上司が会いに来るとむしろ中堅企業のCEOなどは何で会いに来ているのかと心配してしまうぐらいだった。バンカーをやり続けて、案件を大量にこなし、業界中のCEOから信頼され、時に恐れられ、そうした状態で走り続けることがnarcoticになっている。そんな感じだ。日本のM&A市場はこれに比べたらまだまだというか将来でもそうなるのか分からない。 ただ、後者を考えると、正直日本人として生まれ育った場合なかなか海外でずっと働き続けるというのは難しい。ビジネスの中心である欧米との物理的な距離と時差もなにげに非常に重要。気軽に2・3日帰るということができない。1週間は帰らないと物理的な距離もなかなか帰れないこともあり休暇の日数的にも意味が無い。はたまた外人と結婚も問題は山ほど出るし、欧米と日本ではあまりに文化が違いすぎる。英語の問題もあるが、それよりも英語に付随する話し方や姿勢、思考プロセス、欧米の社会・経済・政治に関する知識、それらによって形成される性格・個性そういった面での違いだ。残念ながら日本は欧米と比べるとその面でかなり特殊な国という位置づけになってしまう。言語とその言語によって形成されてきた文化・人々の性格・社会体制が大きく違うからだ。 ちなみに、参考までに俺の場合は海外生活という意味では合計5年ぐらい幼少、高校生、社会人と別々の期間にアメリカとイギリスに住み、中国に大学時代短期留学とかで何度か行ったので全部あわせると半年ぐらい(もっとももはや中国語は旅行会話レベルでしかないけど)いたことになる。決して長いわけではないが、いくつか人生の違う局面にて海外で過ごせたことが総合的な理解につながっていると思う。 インターナショナルビジネスマンへの道: インターナショナルビジネスマンが世界を飛び回る、あるいは海外在住で仕事をすることだとしたら、日本ベースではなかなか難しいし、また、日本企業の駐在員でもなかなか難しい。それは世界的には日本は特殊な国だからだ。欧米ならある程度どこでも経験と知識、ビジネススタイルはトランスファラブルだが、日本特殊的なビジネス慣行はそうでもない。言語の違いとそれに根ざす一般的人格・性格・行動様式の違いもある。ロンドンやNYに行くと、様々な国の人がプロフェッショナルとして国をまたいで転職してきたりするのを頻繁に見かけるが、その中で日本人はまずいない。非常に残念ながら、日本企業、あるいは日本ベースで働いていてもインターナショナルビジネスマンになりづらいのだ。インターナショナルに何を含めるかはまた別の問題だが、欧米で通用し、引く手あまたになるようなビジネスマンになりたければ欧米で欧米企業で働くしかない。ただそうすると逆にインターナショナルスタンダードでない日本で働きづらくなってしまう。 日本企業の海外駐在員はそうした点で、あくまで日本企業の一部であり日本的な経営スタイルを持ち込んで仕事しているので、海外で外資にいるほど、その後現地でもいくらでも転職できるような真にインターナショナルビジネスマンにはなれない。しかし、海外での仕事をそこそこ楽しみながらもアイデンティティ問題に陥らないでいられるとも言えるだろう。 クライアントフェイシング(外部顧客担当)ではない仕事は比較的どこに行ってもやっていきやすく、かつ海外にいてもキャリアロスになることが少ない。経験がマーケット間で非常にトランスファラブルだからだ。金融でいうと、ファンドマネジャーやトレーダー、バックオフィス業務などだ。それでもアイデンティティ問題で悩むことになるには変わらないだろうが。 また、仕事が理由で日本に戻れなくなってしまった人々も多く見た。先進国ならどこでも同じような産業・仕事が存在するし、日本もそうだろうとどうしても思いがちだが、日本には存在しない職種、あるいはあまり発展していない職種など欧米にはたくさん存在する。金融の職種でもそうだ。最近はヘッジファンドが台頭していることもあって、ヘッジファンド周りの業種が一気に増えているが日本にはほとんど存在しない。ヘッジファンドの投資タイプもこちらの方が様々な金融マーケットとプレーヤーがいるために色々なタイプが存在する。日本で一部話題となっているスティーラーズ・パートナーズのファンドレイジングをやった会社の友達もロンドンにいる。スペインにフォーカスしたヘッジファンドにパートナーで転職した同僚もいる。レバレッジドファイナンスの職種もそうだ。他にも様々なアートやデザイン系の職種も日本には存在しない、または活躍の場が限定されている。それゆえ社会的ステータスや知名度が日本では低い。日本に存在しない職種で活躍される人々はまさに自分のやりたいことのために海外で人生を送ることを決意した人々だ。海外でインド人や中国人が多く活躍しているのも同様の理由のためだ。 個人的な感想としては、日本の場合、途上国と違ってジャパニーズドリームを叶えることも十分できる。オポチュニティもたくさんあるし、あえて海外で無理して頑張る必要がどこまであるかは疑問だ。もっとも海外で働きたいというのは分かるし、数年働いてみるのは非常にいい経験になると思う。そうした人が増えることが引いては日本のスタンダードをインターナショナルレベルに持っていくことにつながるのだろう。 #
by mondenlondon
| 2005-08-01 10:48
| ロンドン生活
2005年 07月 30日
長いようであっという間だったロンドン生活に終止符を打つことにした。結果2年弱、ロンドンの外資の巣窟で働いたことになるが、この間には非常に多くのことを学んだし、色々な心境の変化があった。少しいくつかに分けて、こちらにいる間に経験し、感じ、考え、悩んだことについて総括的に書いておきたい。
外人化: まず大きかったのは、どんどん自分が日本人らしくなくなっていくのが肌で感じられたこと。態度、振る舞い、話し方、営業トーク、巧みなブルシット、欧州マーケットに関する知識、文化などあらゆるところで非日本人的ものをどんどん吸収していった。来たばかりのころは英語はとりあえず話せるからいいだろうなんて思っていたが、これも飛躍的に上達した。本当のバイリンガルは日本語を話すときと英語を話すときで、性格から話し方から全て切り替えられないといけないものだということが初めて実感できるようになったと同時に、今や自分で実践しているのが不思議な感じがする。英語のビジネス会話は正直日本語に直訳すると失礼に聞こえる文章が多いため、日本的感覚で遠慮していると相手に付込まれてしまう。こうした特にビジネスの場での言葉遣いや態度の切り替えが瞬時にできるようになった。つまるところ、海外だろうが日本だろうが仕事の本質は変わらない。投資銀行業務であっても、基本的な財務分析・戦略分析、M&Aや資金調達の会計・法律・手続きなどポイントとなるところは変わらないし、やっているうちに身に付く。海外でバンカーとしてやっていけるかどうかは、外人的なモノの考えや話し方・姿勢が身に付くかどうかにかかっていると言ってもいい。 海外でのキャリア: 海外でずっと仕事を続けるべきか非常に悩んだ。来てから半年ぐらい経った時、そんなこともありうるかなと思い始めていたのが、多分このままいても普通に十分やっていけるなという確信がだんだんと持て始めていた。ロンドンでの仕事は順調だったし、ポジションも確保されていたし。去年後半に多少同業他社でロンドンの投資銀行部のポジションを軽く受けていたときもいつでもとってくれるぐらいの勢いだった。ただ、正直バンカーの経験はマーケット間でトランスファラブルではない。我々はシニアになればなるほどディールメーカーとして、クライアントを何年も担当し案件を取ってくるのが仕事になるからだ。欧米でスーパーバンカーでも日本に戻ればクライアントを1社も持たない使えない人になる。海外でやっていくなら、ずっと海外でキャリアを積むぐらいの決意がないといけない。精神的にも中途半端で生き残れるほど甘い世界ではないし、いずれは日本に戻るなんて考えているとその間キャリア的には無駄に年数を過ごしてしまうことになる。 他にもとある英国企業のコーポレートファイナンスマネジャーのポジションなんかも、グローバルにその企業が行うM&A・提携をCFO直属の6人のチームで全部手がけるという少し興味を引かれた話もあったりした(もっとも毎日早く帰れる分、給料は減るが。また出張漬けになる。それでも日本の事業会社の倍くらいは給料が良いが)。かなり心が揺れたディストレスド・ファンドの仕事なんかもあった。しかし、俺が出した結論は海外で人生を送るというか、外人になることはできないということだった。何かしら日本絡みの仕事をしていないと自分のアイデンティティが保てない。 海外にずっと住んでも日本人でいつづけることは可能だと思う人が多いだろう。しかしそれは違うと思う。今後10年・20年と海外にいて、せいぜい日本に帰っても年に1・2回ということだと、日本の友達はだんだんと疎遠になるし、たまに連絡を取り合っていても、辛いときに助けてくれたり、相談しあえる親友でいられるわけではない。逆に海外の友達が増えるし、関係も強くなる。日本の知識にしても、経済・政治や社会の動きを肌で感じられなくなると感覚がずれてくる。流行の音楽やファッションだってそうだ。数年はまだしも、何十年となると日本にいる日本人と同じ日本人さを保つのは不可能になる。その分外人化していく。短い期間ながらその兆候が自分にも見られたし、よりそうなっていく姿が想像できた。海外に来て再度自分の日本人らしさを再確認したというところだろうか。 #
by mondenlondon
| 2005-07-30 15:36
| ロンドン生活
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