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2005年 10月 31日
知らぬ間に当ブログも有名になってきてしまったようです。ボストンキャリアフォーラムでもお会いした8割ぐらいのMBAの方々には読まれていて正直驚きました。面接やディナーでお話した後「ブログ書いてますよね、いつも読んでますよ」なんてぼそっと色々な人に言われました(笑)。日本に戻ってきて書けないことも増えてきましたので、宣言どおりここらでブログは休止したいと思います。その前にもう少しだけ私のブログを読んでおきたいという方々のために、やや決意表明めいてはいますが、バンカーとしてやってきて今感じていることをまとめておきたいと思います。
さて、東京に戻ってきてから会社を色々回っていますが、王道の投資銀行スタイルがようやく受け入れられる土壌が日本にもできてきているのを肌で感じます。これまでは日本企業の経営陣はM&Aや資金調達といった超重要戦略意思決定ですら旧来お世話になっている日系証券会社や銀行系証券に安易に頼んでしまう傾向がありましたが、明らかに変わってきている。もはや夜の接待やゴルフ接待だけでM&Aや資金調達の仕事が取れる時代は終わろうとして来ていると言ってもいいでしょう。バンカーは日本でも提案の中身で勝負する時代が到来しています。逆説的にこれは投資銀行業務の二極化時代の到来でもあるでしょう。バンカーが単なるエクセキューターに終始する投資銀行業務(経営の超重要意思決定とは言えない案件)はより一層手数料競争になっていき、経営の根幹にかかるアドバイスに関してはリレーションシップ営業しかできないファームには仕事が来ない時代です。 東京の日本人バンカーで40歳を越えている人々はほぼ全員が元日系銀行・証券出身者です。何十年もバンカーをやり続けるキャリア・インベストメントバンカーと呼ばれる人々が数多くいる欧米とは業界全体の経験や蓄積、洗練度が大きく違います。資金調達のアドバイスに関しては昔の日系証券会社もかなりの高いスタンダードを持っていたと思いますが、ことM&Aに関しては日本はものすごく遅れていました。日系証券・銀行出身の方々が必死に海外の投資銀行業務のスタイルを学んで少しづつ日本で浸透させていったわけです。残念ながらそれゆえ80年代・90年代半ばまでのM&Aは外資と言えどまともな提案活動よりも株の営業マンスタイルで仕事が取れてしまう時代が続いていました。これは業界全体のレベルが低かったためでもあり、また、クライアントサイドの企業側の経営企画部や財務部のレベルが低かったためでもあるでしょう。外資投資銀行の投資銀行業務も本格的に日本でスタートして15年程度の歴史を経て、ようやく純血外資バンカーが育ってきています(もっとも各年次で業界全体でも5人ぐらいづつといった人数だと思いますが)。個々人のバンカーの技量がもっとも問われる時代に突入したといっても過言ではないでしょう。 DCFやらcomps, precedents, LBO, mergerモデルなどができて、株式交換・会社分割などの法律・会計知識を持つ人々はものすごい勢いで増えています。ただし、それだけでは株の営業マンの域を超えられません。所詮「M&Aやるならうちに任せてくれればエクセキューションはやりまっせ」の域を超えていないからです。また、オポチュニスティックに一風変わったプロダクトを提案する旧来の一部外資の短期的利益追求型営業も限界があります。そうした案件数はいくら積み上げても成功するバンカーにはなれないでしょう。ただの案件エクセキューターに陥ってしまっては仕方が無いわけです。「インベストメントバンカーは男子が一生をささげる仕事ではない」なんて言っている人もいますが、それは本来の王道バンキングを知らないからです。本来バンカーはものすごく頭を使う仕事のはずですが、頭を使わない仕事スタイルにしてしまってきたのです。能動的に経営陣と経営・財務戦略についての対話を続けM&A・財務戦略をクリスタライズするプロセスからアドバイスしていく、それができるバンカーが今後長期的に成功するバンカーです。付け加えるなら、成功するだけでなく、やりがいのある投資銀行業務ができるかということでもあるでしょう。 予断ですが、MBAの方々の面接の際に何度か「良い買収のクライテリアは何だと思いますか?」という質問をしました。多くの方々は戦略的フィットやシナジーをすらすらと上げられましたが、同じぐらい重要なのはバリュエーションです。いくらシナジーがあろうともそれを上回る高値で買ってしまえば良い買収ではなくなるのです。逆にLBOにおいても極端な例では全く事業改善・リストラの余地がなくとも、安く買えればそれは良いLBOということになります。この発想の差が戦略コンサルとIBの違いとも言えるでしょう。経営戦略・バリュエーション・ストラクチャリング・エクセキューション全てに精通していることがバンカーとして成功するためのポイントとなります。 年齢に関係なくリレーションシップは中身があれば自然とできる、そのことを日本に帰ってきて更に実感しています。年配の役員の方々からももっと話を聞きたい、これはどうやればいいんだ、なんて反応をもらうと嬉しくなります。更なる成長と利益率の改善をもたらすには何をしたら良いのか、同業他社はどのような戦略を打ち出しているのか、クライアントのことを「インサイドアウト(裏表全て)」知り尽くした上でクライアントの目線で必死に次の一手を考える、その真摯な姿勢が重要です。今まで夢物語だと思って経営陣の方々がまともに検討すらしたことのない理想的な案件、それは本当に夢物語なのか、どうやったら実現できるのか、あるいは似たような効果はどうやったら達成できるのか、そんなことをきちんと考えていけるかどうかです。これは単純なようでできる人が少ない。ただ知識があるだけでは駄目ですし。日本人バンカーで事業会社の役員に転じる方などが欧米に比べてこれまで圧倒的に少なかったのも恐らくは、日系証券会社的な株営業スタイルでバンキングをやっていた人が大半だったからでしょう。我々の世代の純血バンカーが活躍し始めている今後5年ぐらいの間に日本の投資銀行業は大きく変わっていくことでしょう。 これをもってこのブログは終わりとさせていただきます。今までありがとうございました。NYで衝撃的な出会いなどもあり色々今考えていることもありますので何らかしらの形で再開することもあるかもしれませんが、それまで皆様ごきげんよう! 人気blogランキングへ #
by mondenlondon
| 2005-10-31 02:40
| その他
2005年 10月 17日
ついに本帰国しました。やっぱいいですねー!!メシはうまいし、東京の街はエネルギーに溢れているし、女性は美人が多いし(笑)!これからどんどんネットワークが広がっていくことを楽しみにしています。
やや帰国ボケという感じです。日本は街並みはそれほど変わっていないものの、ソフト面で流行や政治・経済・ビジネス環境など色々なところで少しづつ変化していますね。小泉フィーバーやほりえもん、村上ファンドなど当然新聞などでは見ていましたが、やはり肌感覚が欠けていた気がします。 さて、帰国してからしばらく色々な人に会ったり、何社かの事業会社の経営陣とお会いしたりしましたが、正直な感想としては日本はまだめちゃくちゃ遅れています。欧米の経営活動のスピードが新幹線レベルだとすると、日本は時速10kmぐらいに感じます。ほとんど止まってます…。経営スタイルも未だに時代遅れの旧来のやり方にしがみついている会社もたくさんありますし、かたや必死に欧米スタイルを取り入れようとして形だけは整えたけど中身が伴っていなかったり。IRや執行役員制度、経営計画の立て方、事業評価方法など色々な新しい経営システムが90年代に日本企業でも導入されましたが、欧米の企業に比べるとそうした仕組みを日本企業はまだまだ使えこなせていないなというのが実感です。私のようなバンカーがやってきて従来の経営の延長線上にない飛躍的成長と利益の改善を実現するようなM&Aのお手伝いをする前に、本業のファンダメンタルズを自助努力でもっと改善することは可能なはずです(経営コンサルの方ももっと頑張ってください!(笑))。例えば日本と同様に人件費が高く、かつ労働組合が強力なドイツなどを見ても、同じ業種で比較するとほぼ全ての業種においてトップグループの企業の営業利益率は日本企業と10%以上差があります。明らかに本来きちんと経営していればできることができていない。なぜこういう違いがあるのかな?と考えていたのですが、どうも経営陣の経営に対する執着や熱意が日本企業には感じられない。一円でも多く稼いで、搾り取るように利益率を常にちょっとでも改善し、ちょっとでも売り上げを増やすよう努力する、そうしたことができてない。そんな基本的なところに根本的原因があるのかもしれません。サラリーマン経営陣のインセンティブスキームの構築に社会制度的にも完全に失敗している、そんな気がして仕方がありません。 逆に言うと、日本はまだまだ問題が多いからやりがいもあるということでもあると個人的には楽観的に見ています。未来は明るいはずだ、変化の兆しはあるのだから、変われるはずだと。バンカーとしても変化のお手伝いをできる貴重な時期かもしれません。 今週からボストンのキャリアフォーラムに行ってきます。所詮日本の外資投資銀行業界は狭いので、そこで働いている人に魅力を感じるかが重要だと思います。少しでも私と一緒に働いてみたいと思う方がいれば是非声をかけてください。ハードな仕事かもしれませんが、一緒に働くことになれば私が知っている全てを教え込んでさし上げます(笑)。 また、日本に戻ってきて書きづらいことも増えてくると思うのでそろそろこのブログは閉鎖しようかなーなどとも考えています。また、続けるにしてもまず名称は変えたほうがいいですね。いいアイデアがあれば教えてください。さらにせっかく東京に戻ってきたので是非私に会いたい・飯でもおごってやりたいなんて方からのご連絡お待ちしてます。 人気blogランキングへ #
by mondenlondon
| 2005-10-17 02:34
| 日本経済
2005年 10月 01日
しばらくブログ更新が滞ってしまいました。南米は初めてだったけれど非常に楽しかったです。本当に地球の裏側という感じで。 さて、NYからサンパウロに着いて、もう3年もサンパウロに住んでいる大学時代の友人との超久しぶりの再会。じゃあ飯でも行こうか、と言ったその矢先に、サンバのダンス教室に無理やり連れて行かれる羽目に。サンバでもちょっと見てそれから夜は朝まで踊るのよ!ぐらいな勢いで、サンバの洗礼を受ける。その後合流したその他の友達たちと共に日本食を食べに行き(いい加減そろそろ日本食も食べたくなり。ちなみにサンパウロは日系人が多いので日本食はロンドンよりおいしいところもあるし、当然破格の安さその後更に延々飲み続け。。。。。NYの洗練された都市型の遊び方から比べたら全く違うんだけど、一気に南米の洗礼を受けた気分になった。 サンパウロからアマゾン、イグアスの滝、リオデジャネイロと更に飛び、その後ペルーへ。途中アマゾンで下痢になったり、クスコで高山病になったりしてきつかったけど、最高に楽しい経験になった。ブラジルは色々な意味でカルチャーショックだった。 ●男女比を見ると圧倒的に女が多い サンパウロでも男1対女2以上という感じ。アマゾンでは男1対女5ぐらいだとのこと。なぜ女の方が多いのかは、色々な人に聞いたが良く分からなかった。ブラジル人は肉ばっかり食うからそれが関係してるんじゃん?ぐらいな回答しか得られなかった。いずれにせよ、よって女性が非常に積極的。人種が混ざりまくっているので美女も多い。またFicaなんて言葉があるぐらいブラジル人はuncommittalに遊ぶ傾向がある(爆)。友達曰く「ブラジル人は男も女も野獣」。。。ブラジル人と付き合っている人は男も女も大変だろうなと思った次第。もちろんそれに加えて今日が楽しければいい!みたいなカルチャーがある。ブラジルに駐在になって大好きになってそのままいついちゃったり、いつかは戻りたいなんて言っている日本人の気持ちが始めて分かった。 ●貧富の差が激しい ブラジル・ペルーは世界的に見ても、貧富の差ランキングではトップ5に入るぐらい激しい。広大なスラム街が広がっていると思えば、ブラジルで成功している日系人の中には日本国よりも広い土地を持っている人もいるとか。 ●踊りが大好き! 友達もそうだったが、踊りが大好きでブラジルに住み着いちゃう人も多いぐらい。ブラジル人の陽気で情熱的な性格は一緒にいても頼もしいぐらいだ。いつまでも少年でいられる感じだ。ちなみにブラジルでもてる男は、ダンスがうまい人か金持ち、だと。 ●日系人がたくさん! ブラジルだけでも100万人以上の日系人がいる。日系人をこんなにたくさん見かけたのは生まれて初めてだったため、なにか中国人が華僑の人々と接するときの気持ちを体感した気分だ。日系人の方々はポルトガル語、あるいはスペイン語で話しているときは、ぶっきらぼうでつめたったりしても、日本語を話しだしたとたんに態度も丸くなり親切になる。言語にはそれに付随する態度や性格、話し方なんかがあると言うけど、日本語ってのはあらゆる意味で素晴らしい世界観を伴っているんだなぁと感動!日本人だというだけで親近感を覚えてくれて、初めて会うのに日系人の人々は「どこから来たんだ。俺も昔少し日本に住んでた、。。。」なんて気楽に話しかけてくるし。また南米の日系人の多くは20代で日本に数年出稼ぎに来ている人も多いので2世3世でも日本語を流暢に話せる人も少なくない アマゾンやマチュピチュ、サンパウロやリオの夜など、全てが新しい発見の連続だった南米旅行。次は是非春のカーニバルの時にでも行きたいとかなり本気で思いました。サルサでも習い始めようかな?ラブ南米!また必ず戻ります! 人気blogランキングへ #
by mondenlondon
| 2005-10-01 16:34
| その他
2005年 09月 19日
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by mondenlondon
| 2005-09-19 00:39
| その他
2005年 09月 09日
NYのヘッジファンドで働く友人が言っていた一言が非常に印象に残った。 “If you feel like you are missing a boat, don’t worry about it because you are not. Everyone is actually only swimming around the boat and struggling hard not to get drowned.” 訳:(ヘッジファンドという勝ち)船に乗り遅れてるんじゃないかと思っているとしたら、そんなこと気にしなくていいよ。全くそんなことはないから。(ヘッジファンド業界の人間は)みんなただ単にその船の周りを泳いでいるだけで、溺れちゃわないようにするだけで必死だから。 ヘッジファンド業界は投資銀行業界以上にコンペティティブで生き残るのも難しい。ミーハーな気持ちで皆が興味を持っているからとか、死ぬほど給料もらっている人がいるからといった理由だけでやろうと思うなら本気でやめた方がいい。9割方失敗している。頭が良かったり知識があるだけでなく(それよりもむしろ)トレーディングのセンスが重要だ。年齢も学歴もリーダーシップもチームワークもゴマすりも全く関係ない世界に放り込まれるので、プライドも経験も年齢も上下関係もクソもない、儲けたものが勝ち、そんな究極の世界だ。 生のヘッジファンドを伝えるために何人か今回NYで会ったヘッジファンドで生きる人々について書いておこうと思う。恐らく普通に説明するよりも直接的にどんな世界でどんな人々が働いているのか分かるだろう。 一人目は、いわゆる典型的なロング・ショート投資を行うヘッジファンドに務めるアナリスト。全米トップ10の名門大学の学部卒後すぐに投資部隊100名以上抱える比較的大手のヘッジファンドに就職した入社4年目の25歳。4年も生き残っているのでそれなりに平均以上には頑張れているはずだ。すでに自分のポジションを持って投資しているが、給料の支払われ方がヘッジファンド業界の中でも際立って実力主義で、月給から完全業績連動給。彼の去年の実績は年収約3000万円、今年は初め3ヶ月に比較的うまくリターンを上げたので3ヶ月で約2000万円もらったが、その後5ヶ月間は給料ゼロ。ロスを出しているからだそうだ。投資のパフォーマンスがネットで勝ち越しのプラスになるまで次の月給は支払われず、年末の時点で負け越していれば首になると言っていた。すぐに大きくカンバックしてやるから大丈夫だよ、と笑ってごまかしていたが、死ぬほど毎日プレッシャーを感じているのは見ていて明らかだった。非常に慎ましやかな生活をしていて、正直日本企業入社1・2年目ぐらいな生活水準で暮らしている。死ぬほど様々な投資関係の本を読み漁って勉強している。一寸先は闇といった生活を送っているからだろう。首になったらMBAでも行くしかないかなと言っていた。なぜなら首になるということはヘッジファンドではもうやっていけないという烙印を押されたことに等しいし、彼の場合、ヘッジファンド以外の経験がないので他の業種にも転職しづらいからだ。 二人目は、同じヘッジファンドに務める27歳のスイス人。大手投資銀行のスイス及びNYオフィスの投資銀行部で計3年働いた後、ヘッジファンド業界に転身。年収6-7000万円をコンスタントに稼ぎ出す稼ぎ頭だ。同じファンドの20代の若手50人ぐらいのうちで彼が断トツのトップパフォーマンスを上げているらしい。そんな彼もあと2年もこのヘッジファンド業界にいつづけたらもはや他に行く先はなくなるな、なんてつぶやいていた。どの仕事もそうだろうが他の職種に転職するというのはなかなか容易ではない。ましてや30歳近くなるとなおさらだ。失うものも多い。 三人目は、履歴書的には華麗な転職暦を持つ29歳。米屈指のH大学部卒で、インターネットベンチャーで2年働いた後、大手投資銀行の投資銀行部でアナリストとして3年働き、その後リスクアーブ投資(merger arbitrageなどrisk arbitrage専門)を行うヘッジファンドに転職。残念ながら彼の勤めるファンドのパフォーマンスは芳しくなく、去年はマイナスかぎりぎりフラットといったパフォーマンス、今年は10%を超えているが数年前の設立当初数百億円あったファンドサイズは今や100億円以下に減っている。要はバスト寸前とも言っていい状態になっている。彼の去年の年収は1000万円に満たない。前職からでもかなりの給料ダウンだ。本来であれば他のファンドに転職したいようだが、パフォーマンスが良いファンドで働いた経験がないとなかなか他の好調なファンドでの転職も難しいし、投資スタイルの違うファンドへの転職ははっきりいって全く違う生き物といってもいいぐらいなので難しく、真剣にMBAに行くことを考え始めている。その背景には、MBAに行って良いコネクションを得ることに加え、もう一度やり直したいという思いがあるからだろう。 四人目は、元大手投資銀行の投資銀行部のリストラクチャリンググループのヴァイスプレジテント。投資銀行業界の中ではここのリストラクチャリンググループはかなり有名だ。学部はウェストポイント出身で米軍にヘリコプターパイロットとして勤務後、某トップスクールMBA卒。数々の全米の超有名破綻案件のアドバイザリー経験を持つ。現在30半ばでディストレスド・ファンドのアナリストとして務めて2年目。彼のディストレスド投資に関する知識は半端ないし、アメリカの倒産プロセスやらあらゆるリストラに精通している。そのままIBにいれば間違いなくもっと活躍できた人物だ。しかし、トレーディングの経験はヘッジファンドに入ってから。五人目となるが、そんな彼が勤めるファンドのポートフォリオマネジャーは若干28歳。28歳のPMは彼ともう一人弁護士出身の30代の2人のアナリストに支えられている。3人で7億5千万ドル(約750億円)のファンドを切り盛りしている。28歳のPMは投資銀行の投資銀行部のアナリストを3年やった後、ヘッジファンドに転職し、めきめきと頭角を現して大手ヘッジファンド傘下のこのファンドを任されている。28歳のPMの年収は推定数億円、2人のアナリストは1500-2000万円程度。この元投資銀行ヴァイスプレジデントの年収は3分の1以下になったと言っていた。ウェストポイント出身の元軍人で投資銀行のIB出身らしく、人当たりの良く、真摯で知的、リーダーシップに溢れ体格も良い彼は、まさに文武両道といった感じだが、残念ながらそうした要素はヘッジファンドでは全く役に立たないんだということをまざまざと見せつけられた気がした。 六人目は、完全に独立して自分のファンドを立ち上げた29歳。大手投資銀行の投資銀行部でアナリストとして3年働いた後、アクティビスト投資の有名ヘッジファンドに転職。このファンドのヘッドは狂ったように攻撃的かつ毒舌なことで有名なスーパーヘッジファンドマネジャー。初めの2年は全然うまくいかなかったそうだが、あらゆることを教え込まれ3年目ぐらいからめきめき稼ぎ出し、年収1億円を超える。4年目に独立したいとヘッドに伝え、彼の全面サポートを得て、色々な投資家の紹介を受けたりして、見事今年3億ドル(300億円)の自分のヘッジファンドを設立。セントラクパーク沿いの高級マンションも購入。現在意気揚々とまさに絶好調にある。彼の元のファンドのヘッドがなぜそこまでサポートしたかは、彼を知る人間に言わせると、もう既に死ぬほど儲けているから、「あのファンドは昔俺が手取り足取り教えてやった奴がやってて、俺があいつのためにファンドを作ってやったんだ」なんて言いたいためにそこまでやってくれたんじゃないのと言っていたが。まあ、そんなサポートを受けるほど彼に儲けさせてあげたお返しといった要素が高かったんだと思うが。 上記の何人かの例を見れば明らかのように、肩書きやら学歴なんてはっきりいって全く関係ない完全な実力主義世界がヘッジファンドにはあるわけだ。MBAが役に立たないとは言わないがMBAの知識がすぐ生かせるとかそんな次元の話じゃないし、社内政治やらリーダーシップやら人徳やらそんなことも全く関係ない。ものすごく優秀な人間が集まっているし、ヘッジファンドに入るだけでも普通は大変だろうが、その中での生き残り競争は想像を絶するほど過酷だ。正直、一寸先は完全な闇の中、手探りで必死に生きている人々の方が圧倒的に多い。もちろん信じられないような成功を若いうちに手にしている人々もいるが、ほんの数%と言っていい。皆がいずれはポートフォリオマネジャーになる、あるいは自分のファンドを立ち上げたいと頑張っているが、ほとんどの人は実現できていない。ほぼ全ての人は実現できない、に同義語に等しいぐらい厳しい。今のヘッジファンドに比べたらIBやPEでさえミドルリスク・ミドルリターンに見えてくる。 2年前まではNYのヘッジファンドもブームに乗って儲けまくったファンドも多かったらしいが、ここに来て数が増えすぎたのとマーケットのパフォーマンスの低さから一気に冷え込んできている。また、NYのヘッジファンド業界は、東京・ロンドンと比べてもこの1・2年で一気に競争が厳しくなったという印象を持った。ターンオーバー(人間の入れ替わり)は3年経てば75%は首になり、100人のファンドにいれば3年で100人入れ替わるぐらい回転スピードは速い。成功している人のことばかりが報じられがちなヘッジファンド業界だが、儲けてる人がいっぱいいるらしいから俺もやりたい、なんてミーハーな気持ちで考えているなら止めといた方がいい。そんな程度のモチベーションじゃ絶対成功しないから。英語力が心配だったりしたらそもそもNYのヘッジファンドなんか止めた方がいい。ただでさえ厳しいのに英語のハンデがあればなおさらだ。それはIBも同じだけど。 今回、ものすごく多くのヘッジファンドの人間と会って、彼らと狂ったように毎晩飲みまくって大いに語り合い、実に充実したNYでの1週間となった。もう胃が壊れそう。NYの流行スポットはほとんど全部連れ回されたんじゃないかな。結構本気でNY住むのも楽しいかも、と思わせられた。NYのヘッジファンドで仕事を見つけるのは十分可能だと言うことが分かったが、あの異常なリスクの中に身を晒すには、よほどの覚悟と自分のバックグラウンドにぴったり来てかつ良い指導者がいるファンドを見つけることが重要だ。今回はもちろんヘッジファンド以外にもバンカーの奴らや色々な人間と会い、大いに最先端NYを感じた滞在となった(そういえばコロンビア大MBAのホームパーティも何件目かはしごして飲んでいる時に一瞬行きました。日本人はいなかったですが)。ヘッジファンドとPEがどのような局面で競合しているかも良く分かった。日本に行くときは絶対連絡するから、大いに日本で遊ぼうと約束して最後は皆と別れた。年末年始にNYヘッジファンド野郎らの日本ツアーでも企画しないといけなくなるかもしれない(笑)。 人気blogランキングへ #
by mondenlondon
| 2005-09-09 00:34
| 買収ファンド・ヘッジファンド
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